イダの浜を訪れた後、帰りのフェリーの時間まで船浮(ふなうき)集落を観光することにした。
西表島の西側に位置する船浮集落は人口50人程度の小さな集落で、陸続きにもかかわらず西表島のその他の集落からは船でしかアクセスすることができず、「陸の孤島」と呼ばれている。
船浮集落のサイズは宮古諸島の大神島(人口約20人)の集落と大差ないレベルで、10~20分もあれば十分に見て回れる。
なので観光とは言っても見る場所は限られているのだが、せっかく集落内を歩き回ってきたので以下に集落内の風景や食事処をご紹介したい。
なお、イダの浜および船浮集落への行き方に関しては以下の記事を参照して欲しい。
小さな小さな集落だが、意外にも民宿や食堂が数軒ある。
集落から山道を抜けた所にあるイダの浜は日本でも有数の美しいビーチなので、夏場は船浮も観光客が多いのかもしれない。
船浮集落には小中学校もあり、下校時刻になると子供をチラホラ見かけた。
50人程度の人口だと、小中学校を維持できるギリギリの人数に思える。
船浮ではイリオモテヤマネコが発見・捕獲されたらしく、集落内には記念碑が立っている。
集落を一周してから、集落内にある食堂「ぶーの家」でランチを取ることにした。
テラス席に座って、いのししカレーとビール(発泡酒)をいただく。
近くで獲れた猪だろうか、お肉は噛み応えがあってなかなか美味しかった。
何でもここの奥さんは大阪出身で、結婚して船浮にやって来たらしい。
沖縄の小さな離島に来ても、ホテルやレストラン(食堂)で話す人たちはほとんどが内地出身の人たちのような気がする。
食後、集落内を再度ぶらぶらと散策していたのだが、すぐにやることがなくなってしまった。
船浮では集落で食事をして、後の時間はイダの浜で過ごすのが正解のようだ。
帰りのフェリーの時間まではまだまだあったので、ビールでも飲もうかと集落の中心近くにある「cafeいかり」に入ってみることにした。
「cafeいかり」では軽食、かき氷やアイスクリームなどのメニューがあり、さながら海の家のようでビーチ帰りにはぴったりの場所だ。
オリオンビールを注文すると、東京風月堂のメープルゴーフレットを付けてくれた。なんだか、お金持ちの友達の家に遊びに行って高級なお菓子が出てきた時の気分である。
カフェで時間を潰した後、フェリー出発の時間まで港近くでボーッとしていると、同じフェリーに乗って船浮にやって来た外国人のお兄ちゃんが通ったので「Hi」と挨拶をしてみる。
石垣島はともかく、3年前は人口の少ない離島まで来ると外国人はあまり見かけなかったような気がするが、今では八重山諸島のどこの離島に行っても外国人の姿を見かける。
一般的にフレンドリー(と言うか気軽に話しかける)な欧米人にしては仏頂面で歩いている人も多いが、一度声を掛けると笑顔で返してくれる。
恐らく、日本人の多くが英語を話せないから自分たちからはあまり話しかけないのだろう。
僕も言葉の通じない国に行ったら現地の言葉で話しかけられても困るし、大体仏頂面で歩いているのと同じことである。
ロンドンから来たと言うお兄ちゃんは沖縄こそ初めてなものの、日本は毎年のように訪れて今回でもう8回目らしい。
イギリス英語を話すお兄ちゃん、「then」を文末に持ってくるところがニクい。
インドで出会った「lovely」を連発するおじさんもそうだったが、やっぱりイギリス英語は素敵だ。海外ドラマ『ウォーキング・デッド』で学んだ僕のサバイバル英語とは大違いである。
イギリス人のお兄ちゃんと旅の話をしていると、程なくして帰りのフェリーがやって来た。
白浜と船浮を行き来するフェリーは1日5便と少なく、帰りのフェリーの乗客は行きしと全く同じ顔ぶれだった。
白浜港でフェリーを降りた後は、15時45分発の最終の路線バス(早い)に乗って上原方面へと戻る。
「陸の孤島」の呼び名の通り、船浮集落は日本の僻地に来た気分を味わえる小さな集落だった。
何もない素朴な集落は居心地が良く、イダの浜もとにかく綺麗だったので、今度船浮集落を訪れる時は民宿に宿泊でもして船浮を心ゆくまで堪能したいと思う。