はじめに
生きるのは苦しい。
老いるのは苦しい。
病むのは苦しい。
死ぬのは苦しい。
ただでさえ人生は苦しく儚いものなのに、人はなぜ、名声や富、一時の享楽などくだらないものを追いかけ醜く争い合い貴重な時間を浪費するのであろうか。
そして、このような欲にまみれた人間たちを助けるために、法を説くことに何らの価値があろうか。
ブラフマンよ。僕は、生きる意味が分からなくなってしまった。
苦しみの原因を突き止めて苦しみから自由になることに生きる意味があると言ったところで、生きることそれ自体が苦しみなのであれば、生きている以上生きる意味は見出せないではないか。
「怒らないことによって怒りに打ち勝て」などと言ってみたところで、生きる苦しみの中に僅かな喜びを見出すことだけが救いであるならば、この矛盾だらけの人の世に対してどうして怒らないことができようか。
それとも、ただ老いていく中で正しい行為を行い修行を積み重ねることによって、やがては答えが出せるのであろうか。
いつになったら、解脱に至るのか。
いつになったら、涅槃へとたどり着けるのか。
そして、プリンパフェは何でこんなに美味いのか。
『ブッダ』手塚治虫
ただ天才というだけではなく、『ブッダ』や『ブラック・ジャック』、『火の鳥』などクオリティの高い作品を多数生み出しているのを見ると、努力家、いや狂気の人だったのかもしれない。
『ブラック・ジャック』を読んで、どれだけの人が医師を志したのだろうか(モグリにもかかわらず)。
彼の作品の中では『ブラック・ジャック』も捨てがたいが、ブッダファンとしては、個人的には『ブッダ』が一番好きな作品である。
大人になってからブッダの生誕地であるルンビニがあるネパール、そしてインドを訪れ、現地の歴史や文化を知った後に改めて『ブッダ』を読み返すと、新たな気付きがありより一層作品を楽しめる。
当時のインドにはカースト制度があり、バラモン(僧侶)、クシャトリヤ(武士)、ヴァイシャ(平民)、スードラ(奴隷)と呼ばれる4つの身分に分けられ、さらにその下にはバリアと呼ばれる不可触民がいた。
シャカ族の王子でありクシャトリヤの身分であったゴータマ・シッダルタは、このような身分制度に疑問を抱き、王宮での贅沢な暮らし、そして家族を捨てて出家する。
肉体と精神を限界まで追い込む様々な苦行を経て、ブラフマンと出会い、ついには菩提樹の下で悟りを開きブッダ(目覚めた人)と呼ばれるようになる。
そして、悟りを開いたブッダはなぜかパンチパーマになった。
釈迦の生涯を通して「人はなぜ生きるのか」を描いた伝記的フィクションである『ブッダ』、古代インドにおける理不尽な差別、そして日本人の日常に根付いている仏教の理解を深めるための入門書としておすすめのマンガである。
『月とアマリリス』町田そのこ
著者初めてのサスペンス作品だが、文章は相変わらず秀逸で、殺人・死体遺棄事件を追いかけるスリリングな展開の中で、みちるや加害者たちの過去や未来が巧みに交差する。
みちるは少しずつ事件の真相に迫るが、その事件にはみちるの幼少時の同級生も関わっていることが分かり、そしてその背後には、家庭内に問題を抱え行き場のない女性たちや身寄りのない老人を言葉巧みに支配しようとする、お馴染みサイコパスの暴力男(しかもイケメン)がいた。
どうも、最近のベストセラー女性作家の作品には、精神に異常がある暴力男が欠かせないようである。
『The Book of Ichigo Ichie』Francesc Miralles、Hector Garcia
「世界一の長寿地域」として認定された沖縄の大宜味村での取材を通じて人の生きがいについて書かれたベストセラーの『Ikigai』に続き、日本文化に造詣の深い著者が「一期一会」について書いた本(洋書)。
「一期一会」とは「一生に一度の出会い」という意味であり、茶道の精神を象徴する言葉である。
人生において初めて出会う人だけでなく、何度も顔を合わせている人であっても日々刻々と変化しているものであり、その瞬間の出会いは常に一度きりのものといえる。
その考えは、ブッダが説いた「諸行無常」に通じるものがある。
本書は正直『Ikigai』ほどの読み応えはないのだが、英語は平易であり、「一期一会」や日本文化を理解している日本人にとっては非常に読みやすいので英語学習にもおすすめだ。