宮古島の北東部にある素朴な島尻漁港からフェリーに乗って約15分、大神漁港に到着すると、相も変わらず島の看板犬であるゆりちゃんが出迎えてくれた。
ゆりちゃんは大神島唯一の犬で、もう14歳である。
元気に吠えたり走り回ったりしてはいるものの、かなり目が悪くなったようで、昔よく遊んだ僕のことはもはや記憶にないようだ。
港から左に向かって、呪いによって工事が途中で中断したという伝説のある大神島の半周回道路を歩くと、「大神ブルー」と呼ばれる宮古島の島々の中でもとりわけ美しい海が広がっている。
池間島との間は、ライトブルー、ディープブルー、エメラルドグリーン、そして限りなく透明に近いブルー。
宮古島に来たら必ず一度は訪れる大神島。
大神島にはもう10年近く通っているが、観光客が増えて近代化こそ進んではいるものの、自然の美しさは色褪せないようである。
この日は快晴で、陽光が水面に反射して海の青がより一層キラキラと光って見える。
11月の宮古島は雨や曇りが多いが、僕が大神島を訪れる日は、直前まで天気が悪くてもなぜか大神島に向かう道中で晴れ間が現れるから不思議である。
半周回道路から港まで戻り、集落を抜けて島の中心部にある遠見台(展望台)を目指す。
大神島の人口は現在20名程度だろうか、そのほとんどは年金暮らしのご老人のようである。
こんな小さな島にいて退屈しないのかとも思うが、買い物や病気になったときなどは不便なものの、宮古島に行けば何でもあるし、美しい自然と少数の顔見知りの人間に囲まれた生活はストレスもなく快適なものかもしれない。
木の階段を登って遠見台に上がると、池間島との間のサンゴ礁の海、大神島の全景、そして、沖縄本島との間にある日本最大級の海峡である宮古海峡と360度に絶景を望むことができる。
東シナ海と太平洋を隔てるこの宮古海峡には中国艦船がよく行き来するようだが、こんな小さくて平和な島においても外国の脅威を感じるのは複雑な気分である。
遠見台から集落に戻り、島唯一の食堂である「おぷゆう食堂」でランチをいただくことにした。
大神島ではタコ漁が盛んに行われているらしく、数年ぶりにこの食堂の名物である「カーキたこ丼」をいただいた。
タコの燻製と大量の玉ねぎがご飯に乗っているこの「カーキたこ丼」、味は悪くはないのだが、1,200円と結構な値段がするし、ご飯の上に乗った炒めた玉ねぎが好みでない自分としてはカレーライスや宮古そばで十分だとも思う。
14歳のゆりちゃんだけではなく食堂を運営する島のおじいも耳が悪くなったようで、無常を感じずにはいられないが、高齢化が進む大神島もやがては人がいなくなってしまうのだろうか。
ランチの後、先ほどとは反対側にある半周回道路を散策し、フェリーの出発時刻まで食堂でビールを飲んで時間を潰す。
大神島から帰る頃には、来た時の何倍も元気になっているような気がする。
毎年宮古島にパワーを貰いに来ている僕が、大神島や石庭などを訪れて「神様がいる」とか「自然のエネルギーを感じる」とか「宇宙に繋がる」とか周囲の人に言うと引かれることがあるのだが、綺麗な海と自然に囲まれて元気になるのであればそれで良いではないか。
そもそも、エネルギーが強い場所に建てられ自然を神様に見立てて崇拝する神社も同じことで、古来より神道では自然を崇拝してきた。
ちっぽけな人間や文明社会の存在などは忘れて、大自然と対話できる稀有な場所、それが大神島なのだと思う。
何もないけれどいつ来ても飽きない大神島、また来年来られることを願って、帰りのフェリーに乗り込んだ。