アフターコロナで読んだ本まとめ⑱

少女と犬

はじめに

かつて東京に住んでいた頃、同居していた女性から一通のメールが届く。

いわく、京都に来るついでに僕の事務所にも立ち寄るとのこと。

10年以上会っていないのに今頃何の用だろう?とも思ったが、そう言えば、少し前に開業案内のメールを知り合いに一括送信していたことを思い出す。

気分屋で躁と鬱の差が激しい人だから、ひょっとすると長引くコロナ禍で精神が病んでいるのかもしれない。

しかし、何年か前に所用でメールを送っても返信がなかったにもかかわらず、頼られるとつい相手をしてしまう自分はお人好しなのだろうか(別に会うのを断る理由もないのだけれど)。

10年以上前の記憶が蘇る。

彼女(She)は海外の大学院を卒業後に東京の外資系企業で働いており、当時の僕は、オーストラリアから帰国したばかりで職探しをしていたところだった。

初めて暮らす東京には知り合いも少なく、僕は思いきって田園調布に借りたテラスハウスで、毎日ハムスターと遊んで料理を作りながら彼女の帰りを待っていた。

ビーフシチュー、ボロネーゼ、トマトのリゾット・・・

未来は輝かしいものに思えたが、丁度リーマンショックが起こった後で職探しは困難を極め、そんな日々が1年近くも続いた。

彼女には結婚願望もなかったし結局は別れることになったものの、その後に会社を作って軌道に乗せようと奮闘していた頃、東日本大震災が起こった。

それからは毎日のように余震が続いて放射能騒ぎがあり、まるでコロナ禍1年目のような見えない不安に怯えていた。

震災直後は大阪と東京を行き来していたのだが、次第になんだか東京に住んでいる意味も見出せなくなり、震災から1年も経たないうちに逃げるように大阪に帰ってきたことを思い出す。

もし東日本大震災がなければ、未だに東京に住んでいて今頃は結婚していたのかもしれない。

過去に戻りたいとは思わず、未練や後悔など何もないからこそ会えるのだが、やっぱりちょっと怖いという気持ちもある。

それと同時に、10年以上も会っていない相手がどれだけ変化しているのか単純に生物学的な興味もある。

記憶にあるのは10年以上前の姿なのだが、10年前の写真を婚活アプリに使っている女性の実物との違いのように、小錦みたいな体型になっていたらどうしよう。

僕はと言えば、白髪が目立ち始めておじさんになったと感じるとは言え自分ではあの頃とそれほど変わらないと思ってはいるものの、10年以上の月日を経て再会する相手からするとやっぱり年を取ったのかもしれないな。

『傲慢と善良』辻村深月


出典:amazon.co.jp

非公開にして放置していたマッチ・ドットコムに数年ぶりにログインしてみた。

住所や年齢などの条件を入力して検索をかけると、まるでネットショップの商品みたいに様々な女性の顔が一覧で表示される。

気になる相手がいると写真やプロフィールをチェックするのだが、ネットでの出会いは分からない部分も多く、脳内が勝手に補完して理想の相手を作り上げる。

相手も自分と同じ欠陥だらけの人間だということには思いも至らず、「自分のレベルにはもっとふさわしい相手がいる」と、自らの理想と少しでも違いがあれば、他にもっと良い相手がいるだろうと思って次の相手を探す。

自己愛と傲慢。

例えば美人な30代の女性などこれまでの人生でそれなりにモテてきた人に多いのかもしれないが、そのような人の行き着く先は何年間も婚活アプリを使い続けることではないだろうか。

本書を読んでいると、なぜか久しぶりにそんな気持ちになってしまった。

本書の主人公・東京育ちの架(かける)は、イケメンで性格に難もなくそれなりにモテてきたが、大好きだった彼女と別れたことをきっかけに30代後半になり婚活を始め、アプリを通じて数十人と会うものの「ピンとくる」相手がおらず、恋愛と結婚の違いに苦しむ。

一方、田舎(群馬)育ちで親の言うとおりに育ってきた真美は、親が勧めた地元のお見合い相手が気に入らず、親の支配から逃れて自立するために東京にやってきた。

婚活アプリを通じて付き合うことになる2人だが、2年間の交際期間を経て結婚間近というところで、ストーカー事件に巻き込まれた真美が行方不明になってしまう。

東京と群馬を往復して真美の行方を追う架だが、やがてストーカー事件は思いもかけぬ結末を迎えることになる。

この著者の本は初めて読んだけれど、ストーリーで読ませるタイプの作家なのかな?

婚活アプリやSNSなど時流を取り入れた大恋愛の物語だが、消えた婚約者を追う過程にはミステリーの要素もあって、楽しく読むことができた。

架はあまり好きにはなれないタイプだけど、30代後半で自営業、かつ婚活アプリに苦しむというところになんだか共感してしまったわ。

著者は婚活アプリ歴が長いのかというくらい現代の婚活に従事する人たちの心理描写が巧みで、婚活に悩む全ての人に読んで欲しい本。

それにしても、著者は同性だけあってか嫌な女の描写が本当に上手い(笑)。

『コーヒーが冷めないうちに』川口俊和


出典:amazon.co.jp

路地裏の地下にある喫茶店「フニクリフニクラ」。

この窓もないレトロな喫茶店では、ある座席に座ると過去に戻れるという都市伝説があった。

しかしそこにはいくつかの面倒くさいルールがあり、その中でもとりわけ人々を過去に戻ることを躊躇させるのは「過去に戻ったところで現実は変わらない」というものだ。

それでも、あの日伝えることができなかった言葉を伝えるために、受け取ることができなかった手紙を受け取るために、そして会いたい人にもう一度会うために彼らは過去に戻ることを選択する。

そして、例え現実(起こった事実)は変わらなくとも、人の心が変わることによって未来は変えていける・・・

本書は小説としては読みやすくも独特な文体だと思ったが、著者は元劇団の脚本家・演出家だけあって、まるでシェイクスピアの作品のごとく、短編ドラマを観ているかのようにイメージしながら読むことができた。

ベストセラーのようで中古で安かったから購入したけど、思いもかけず泣かずにはいられない4作品だった。

映画化もしているみたいだし観てみよっと。

『障害者支援員もやもや日記』松本孝夫


出典:amazon.co.jp

気になるあの職業に就いた中高年の日々の奮闘を描く、ベストセラー日記シリーズの最新作。

今回はライターや会社経営などを経て70歳になって精神障害者のグループホームで働くことになった松本さんの物語だ。

本人が介護が必要になってもおかしくない年齢にもかかわらず、夜勤で身体を酷使し、統合失調症などの精神障害が原因で突飛な行動を取る(無銭飲食、暴力を振るう、裸で逃げ回る、奇声を発するなど)若い入居者相手に奮闘する様子が面白おかしく描かれている。

日々の業務の様子だけではなく現場目線を交えた精神医学的知見にも触れられており、精神医学フェチとしては本シリーズの中でもとりわけ興味深く読むことができた。