仕事の忙しさと眼精疲労について

疲労

眼精疲労が辛い。

何の因果か、ここ2~3週間は仕事がやたらと忙しい。

仕事が忙しいとは言っても司法書士の仕事ではなく、ほとんどが翻訳の仕事である。

ひょっとすると、コロナ禍でどこか大手の翻訳会社が倒産でもしたのではないかと思っている。

数万円から数十万円の依頼が切れ目なく入ってくるのだが、不況が叫ばれているにもかかわらず、よくもまあこれだけ翻訳の依頼をする余裕があるものかと感心する。

自分で翻訳するにせよ他人に依頼するにせよ、仕事が多いと必然的にパソコンの前にずっと座る羽目になるので、次第に身体が悲鳴を上げてくる。

スクリーンを長時間凝視することによる眼精疲労、椅子に座って前傾姿勢でキーボードを叩き続けることによる腰痛と肩痛。

100年後の人類から見たら、ずっと四角い機械の前に座って同じ姿勢で仕事をしている現代人の姿は極めて奇妙に映るのではなかろうか。

身体的なストレスは、精神的なストレスへと繋がる。

ストレスが溜まると胃酸の分泌が増えてきて、胃が荒れて口内炎ができてきたら生命の危機を示す危険信号である。

気晴らしに1,500円のランチ(京とろろとかつ膳)を取っても、一時的には満たされるものの根本的なストレスの緩和にはならない。

それどころか、1,000円以上のランチを取れば取るほど新しい仕事が入ってくるような気がする。

「金は使えば使うほど入ってくる」とはビジネス界隈でよく聞く言葉だが、宣伝広告や設備投資にお金を使っているならまだしも、高いランチを取っているだけなのに仕事が増えるのは解せない。

「ザ・リッツ・カールトン」で1万円以上のランチを取ると更に大きな仕事が入ってくるのか今度試してみようと思っている。

ところで、僕はあまり忙しいのが好きではない。

勉強をする体力も気力も失われるし、読書をする時間も取れなくなる。

「誰かの役に立ちたい」なんて言ってみると立派ではあるが、自分がやっている仕事なんて他の人でも代替可能だし、自分の健康ややりたいことを犠牲にしてまでやる価値はないと思っている。

仕事の本質は苦役だと考えているので、「仕事にはやりがいがある」なんて言葉は、忙しい人間が自らを慰めるための後付けの自己弁護ではないかとつい疑ってしまう。

もちろん、与えられた仕事には全力で取り組んでいるし、完璧主義者の僕にとって手抜きをすることは許されない。

顧客から感謝されると嬉しくもあるだろう。

しかし、自分でも納得のいくできに仕上げてしまうと、その顧客はまた仕事をくれるのでさらに仕事が増えてしまうというジレンマを抱えている。

2~3日前まで眼精疲労が酷かったのだが、精神的なストレスのせいか、深夜までネットサーフィンに興じていた結果さらに悪化したようだ。

おまけに、寝違えて首を痛めてしまった。

ここ最近は疲労が蓄積しているときに寝違えて首を痛める頻度が増えているように思うが、これは完全に四十肩である。

酷いときには首から肩にかけてまるでギックリ腰のような症状で、四十肩がこんなにも辛いものだとは思わなかった。

もう横向きに寝るのはやめよう。

同年代に比べて身体的にも精神的にもまだまだ若いと思っていたのだが、やはり肉体は例外なく衰えていくようで、アラフォーともなると無理な働き方はできないようである。

最近は、まともに身体が動かせない老人の気持ちに思いが至るようになった。

それはともかく、今週は締め切り地獄だったけれど3連休でようやく一息つけるので、ビールを飲んで泥のように眠るとするか。

来週は美術館に行けると良いな。

コロコロコロ…
( Д ) …_。…_。 エリコセンセー タスケテー