ロボロフスキーハムスターの死とコロナ禍の孤独

カボチャを食べるスサノオ君

東日本大震災から10年が経過したある日の朝、目が覚めて仕事場にしている和室へと向かい、朝の習慣となっている豆腐のおやつをあげようと和室に置いているハムスターのケージに手を伸ばした。

いつもであれば、袋から豆腐のおやつを取り出そうとガサガサしていると、夜中の激しい運動ですっかりお腹が空いたのか「待ってました」とばかりにハムスターが近寄ってくるのだが、何故だかこの日は姿が見えない。

寝ているのだろうかと思い巣箱を覗いたが、姿は見当たらなかった。

嫌な予感がした。

ケージの隅から隅まで目を凝らすと、回し車の下にある小さな隙間からハムスターの茶色い毛が飛び出しているのが見えた。

死期が近づいているのは分かっていたので、やるせなさとほんのわずかな希望を胸に抱きながらケージから回し車を外してみると、そこには冷たく固くなったハムスターの体がまるで眠るように横たわっていた。

普段は回し車の下の狭いスペースに潜り込むことはないのだが、死が迫っていることを察して必死に外敵から身を隠そうとしたのだろうか。

世界最小のハムスターと言われるロボロフスキーハムスターの全長数センチほどの小さな体はさらに小さくなっていて、手を触れてみると固く、まるでおもちゃのようで前日まで動いていたのが嘘のように思えた。

ロボロフスキーハムスターのスサノオ君をペットショップから我が家にお迎えしたのは一昨年の冬のことだ。

この時点で生まれてから既に半年は経過していたので、ロボロフスキーハムスターの寿命が2年程度であることを考えると1年半程度しか生きられないことは分かっていた。

それからすぐにコロナ禍となって家に引きこもる日々が続いたので、思えばスサノオ君とは起きている時間のほとんどをずっと一緒に過ごしていたことになる。

外出自粛のまるで監獄のような状況の中でも精神が崩壊しなかったのは、狭いケージの中で短い生涯を懸命に生きているハムスターの姿に知らず知らずのうちに勇気づけられていたからかもしれない。

その小さな体とは非対称的に、僕の中でのハムスターの存在は大きかったようで、ハムスターがいなくなった部屋はとても広く、冷たくそして無機質に感じられた。

ハムスターが亡くなったその日、ハムスターのことが頭をよぎって心配になりながらも、どうにも体が重くて11時まで寝ていたことが悔やまれる。

もしかすると、8時か9時に起きていれば最後に一目動いている姿を見ることができたかもしれない。

思えば、スサノオ君はとても良い子だった。

ロボロフスキーハムスターは生来、臆病ですばしっこいと言われているが、スサノオ君もその例に漏れず、人間を怖がらなくなるまでは随分と時間がかかったものだ。

しかし、ケージを掃除しようとすると逃げ回りこそしたものの、指やケージを噛むことはほとんどなく、歳を取ってからも大きな病気をすることなく亡くなるまでそれほど手が掛からなかった。

亡くなる数週間前までは元気に走り回っていたのだが、ある日餌入れに入れたカボチャが翌日になってもそのまま残っていることに気が付いた。

毎日毎日飽きもせず真っ先に食べていた大好物のカボチャである。

カボチャを食べるスサノオ君

カボチャを食べるスサノオ君

歳を取って歯が弱くなったせいだろうか、固いペレットも食べられずひまわりの種も殻を割れないようだった。

それからは、目に見えて急速に体が弱っていくようだった。

給水器や餌入れを低い位置になるように新しく設置し、なるべく柔らかい餌を与え、ペレットは砕きひまわりの種も殻を剥いてから与えるようにした。

その後、体は小さくなって餌は相変わらず食べづらそうにしていたもののそれなりに元気そうだったのだが、亡くなる数日前からは異常行動が目立つようになった。

飼い始めてからそれまでケージの外に出ようとしたことなど一度もなかったのだが、やたら外に出たがるようになったのだ。

亡くなる前々日などは、普段は寝ていることが多い昼間にもかかわらず、勢いよく巣箱の上に登ってまるでスキージャンプのように巣箱の上から透明のケージの壁に向かって飛んで跳ね返されていた。

今から考えると、体が苦しくて危険を感じるので少しでも安全な場所に逃れようとしていたのかもしれない。

スサノオ君が亡くなった後、ひまわりの種と一緒に自宅の庭に埋めた。

自宅の庭には、数年前に過酷な闘病生活の上に亡くなったアルジャーノン(パールホワイトハムスターの雌)が埋まっている。

本能のままに走り回り、餌を食べ、水を飲み、トイレをして、寝ているばかりのハムスターは一見のんきで幸せそうに見える。

しかし、いくら孤独が好きだとは言っても、短い一生をずっと狭いケージの中で過ごして、でかい玉をぶら下げているにもかかわらず恋をすることもなく死んでいくのは寂しくないのだろうか、とふと思う。

ハムスターをペットとして飼う以上、その生も死も幸も不幸も飼い主である人間の手に委ねられていて、老いたハムスターを看取る度に、果たして幸せだったのかと自問自答し、もっと自分にできたことはないのだろうかと自責の念に駆られることになる。

死に目に会えなかったのは残念でもあるが、亡くなる前日、もはや健康に配慮してもしょうがないので、ひまわりの種、豆腐、カボチャ、ブロッコリー、キャベツ、すり潰したペレット、リンゴにイチゴと、好きな食べ物をすべて与えることができたのが救いでもある。

天国でアルジャーノンと巡り会えていると良いなあ。


出典:amazon.co.jp